競艇(ボートレース)を変えた天才、今村豊とは?成績やエピソードを紹介
競馬や競輪よりも予想しやすく、当てやすいとあって、近頃人気が高まっている競艇(ボートレース)。
迫力満点のレースはただ見るだけでも楽しいものだが、出走している選手のことを詳しく知ることができれば興奮もひとしおだ。
今回紹介する今村豊氏はすでに引退した元選手だが、彼について知ることは競艇の歴史を知ることにもつながる。
氏はボートレース殿堂の第一号となる偉大なレーサーで、現役選手の大半は彼の走りに影響を受けたと言っていいほどの存在なんだ。
このページでは、そんな彼の成績やエピソードについて詳しく紹介するから、ぜひ最後までチェックしてくれよ。
今村豊氏の基本情報
- 1着 2,880回
- 優勝回数 142回
- 生涯獲得賞金 2,941,446,172円
- 初出走 1981年5月(徳山)
- 初優勝 1982年4月(蒲郡)
- SG初出場 1982年5月 笹川賞(住之江)
- SG初優勝 1984年10月 笹川賞(浜名湖)
- SG優勝 7回
- G1優勝 48回
- 通算勝率 7.76
- 賞歴:最優秀新人賞(1982年)、最優秀選手(2004年)、最多賞金獲得選手(2004年)
SG優勝歴
- 1984年:笹川賞競走
- 1987年:全日本選手権競走
- 1988年:全日本選手権競走
- 1990年:全日本選手権競走
- 1992年:モーターボート記念競走
- 2004年:総理大臣杯競走
- 2010年:モーターボート記念競走
今村豊氏のエピソード
全速ターンの開祖だ
競艇といえば、なんといっても第一ターンマークでのスピード感満点な攻防が見もの。
しかし実は、かつての競艇レースでは、ターン時にはぐっとスピードを落とすことが当たり前だったんだ。
そんな常識を変えたのが他ならぬ今村豊元選手。
当時珍しかった全速ターンを武器に、デビュー戦を勝利で飾るなど、ルーキー時代からすさまじい活躍を見せたんだ。
1984年、22歳でのSGレース初制覇は、当時の史上最年少、さらにデビューからの最短タイ記録となっているぞ。
いまの競艇がよりスピーディーに、エキサイティングになっているのは、そんな今村の活躍があったからこそ、というわけだ。
メニエール病
競艇という競技そのものを変えるほどの活躍を見せた今村だが、そのレース人生は常に順風満帆だったわけではない。
1992年ごろ、今村は特定疾患の一種であるメニエール病に罹患したんだ。
この病気は、発症すると激しい回転性のめまいや難聴、耳が詰まったような感触や耳鳴りが同時に襲い来るもの。
発見が遅れると治療は困難で、さらに吐き気が出ると薬を飲むことすら困難になるんだ。
症状が出ると到底レースが行えるような状態ではなく、今村もレースを欠場することが多くなってしまう。
この病気には引退まで悩まされ続けることになるんだが、2004年にはSG優勝、さらに引退寸前の2020年7月に一般戦での優勝を果たすなど、今村は最後まで一戦級での活躍を続けたんだ。
一説には、レースそのものが病気の原因だったなんて話もあるようだし、これからはゆっくり療養に励んでもらいたいな。
より競艇(ボートレース)を楽しむために
ここまで読んでくれて感謝するぜ。
競艇を変えた天才こと今村豊氏について、現役当時の成績やエピソードなどを紹介させてもらった。
このページが、皆の競艇生活をより楽しいものにする助けになったなら嬉しく思うぜ。
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